超小型衛星トレーニングキットを宇宙飛行士候補者基礎訓練に!「電流って何?」から始まり、はんだづけして衛星を作り上げる理由
2023年2月末にJAXA宇宙飛行士候補者に選ばれた諏訪理さん、米田あゆさんは、2024年11月ごろの宇宙飛行士認定を目指して現在、約20か月間にわたる基礎訓練の真っ最中だ。前回の記事で紹介した通り、日本で宇宙飛行士候補者の基礎訓練が行われるのは約24年ぶり。今回の訓練の特徴は民間の知見を取り入れ、なるべく実践的な訓練を行うことだ。
例えば、「基礎工学」の訓練の一つとして、日本大学が開発した超小型人工衛星トレーニングキット「HEPTA-Sat(ヘプタサット)」を使った訓練が行われた。HEPTA-Satは山﨑政彦日本大学理工学部航空宇宙工学科准教授が2012年に開発スタート、これまでに60か国約1000人以上が受講、新興国等のエンジニア訓練にも使われ、世界中で人気と実績のある訓練キットだ。
この「HEPTA-Sat」を宇宙飛行士候補者訓練用に山﨑准教授にアレンジしてもらい、2023年9月12~15日の4日間にわたり訓練を実施。宇宙飛行士候補者2名は超小型人工衛星を一から組み立て、プログラミングして実装、実験を実施。限られた制約の中で独自のミッションを考案、実際に彼らが超小型人工衛星を宇宙には飛ばしていないものの、超小型人工衛星のミッションを考え、検証するところまで確認できたという。
いったいどんな内容の訓練を行ったのか。その狙いは?HEPTA-Sat開発者である山﨑政彦日本大学准教授と学生たち、HEPTA-Sat等を用いて実践的な教育を行う認定NPO法人大学宇宙工学コンソーシアム(UNISEC)国際委員会委員長・川島レイ氏に話を伺った。
なぜ、HEPTA-Satが宇宙飛行士候補者訓練に?
宇宙飛行士候補者の基礎訓練は「宇宙科学研究」、「ライフサイエンス」、「基礎能力訓練(航空機操縦、一般サバイバル技術など)」など内容が多岐にわたる。「基礎工学」の一つに「電気・電子工学」がある。
「電気・電子工学は国際宇宙ステーション(ISS)で必要とされる知識の基礎の基礎。宇宙飛行士は電子・電気の塊の中に住んでいるようなものです。単なる講義で終わるようにはしたくない」。今回の日本人宇宙飛行士候補者訓練について、計画立案から実施などでJAXAを支援するJAMSS(有人宇宙システム)の醍醐加奈子さんが注目したのが、日大・山﨑准教授が開発した超小型人工衛星トレーニングキット「HEPTA-Sat」だった。「HEPTA-Satを使って日大とUNISECさんが世界中の幅広い方々にトレーニングを行っておられる。お願いしない手はない」。醍醐さんはさっそく山﨑准教授に相談を持ち掛けた。
相談を受けた山﨑准教授は、どう受け止めたのか?「HEPTA-Satは電気・電子工学や通信についてかなり網羅しているからちょうどいいですねと。さらに元々、HEPTA-Satにはシステムを教える題材が入っています。宇宙飛行士の方々は国際宇宙ステーションという宇宙システムに乗って運用されるわけだから、宇宙システムの話も有機的に繋げましょう」と快諾、骨格が決まっていく。並行してJAMSSからJAXAにHEPTA-Satを宇宙飛行士候補者訓練に使うことを提案、採用が決定した。
手を動かしながらシステムを学ぶ「HEPTA-Sat(ヘプタサット)」とは
訓練の詳細に入る前に、HEPTA-Satについて紹介しておこう。そもそも山﨑准教授はなぜHEPTA-Satを開発したのか。話は山﨑准教授の学生時代に遡る。「元々、大学時代に(空き缶サイズの)人工衛星『缶サット』を作っていました。毎日めちゃくちゃ新しい発見や知識が入ってくるのがすごく面白かった」。
当時、山﨑准教授が在籍した研究室には、歴代の先輩たちが作った缶サットがたくさんあったという。「芸術品のように飾られていて、壊すといけないから触っちゃいけない。学生が作った報告書がハードディスクにあっても2、3年して先輩が卒業すると(データが)なくなってしまうし、そもそも後輩が読むことを想定されていない。つまり全然情報が取り出せない。何年もの間、人工衛星システムのキットってどんなものだろうとずっと考えていた」
転機は山﨑准教授が日本大学に就職した2012年に訪れた。UNISECで研究室のノウハウをお互いにシェアしようというプロジェクトが起こる。他大学でカメラを作りソフトウェアを触って面白かった体験をきっかけに、人工衛星でもやろうと。まずGPS衛星のデータを受信しケーブルを通してPCにデータを送る機器を作った。「最初は市販の基板で作ったが必要ないものがついていた。今までプログラムに触れてこなかった人たちでも簡単に体験できるように、専用の電子回路基板を作ろうと、隣にいた大学院生に声をかけたのが始まりです」。
その後、人工衛星の形に仕上げ、一通りのコンテンツを作った。UNISECが毎年、海外の大学教員を招待してCubeSat(超小型衛星)製作や打上実験を体験してもらう「CanSat/CubeSatリーダートレーニングプログラム(CLTP)」にHEPTA-Satが使われることになり、教科書もできあがった。本格的に世界から求められるようになったのは2017年頃から。「学会で発表したら『それは手に入るのか』と言われ、UAEで4日間授業をするなど様々な大学・宇宙機関に呼ばれるようになりました」(山﨑准教授)。同じ頃、国連宇宙空間平和利用委員会(COPUOS)のオブザーバとして発表する機会をもつUNISECがウィーンで開かれた国連のイベントでHEPTA-Satを展示したところ、一気に広がった。
11月の取材日の直前も山﨑准教授と学生たち、UNISEC川島さんは南アフリカ共和国でHEPTA-Satトレーニングを行って帰ってきたばかり。研究室にはHEPTA-Satや周辺機器の運搬に使うスーツケースが並んでいた。現在、HEPTA-Satキットを使うトレーニング期間は1日から2週間まで、ニーズに応じてバリエーションがある。
どんなニーズがあるのか。例えば日本では大学の授業に使われるほか、宇宙に参入したい企業から「宇宙の物づくりの考え方を学び、営業に生かしたい」という要望もあるそう。「最近は高校でキューブサット打ち上げが流行っていてネットで調べて連絡してくる人もいる」(UNISEC川島レイ氏)。新興国はもちろん欧米でイベントを行うと「なぜ自分の学生生活になかったのだろう」と言われることも多く、どこにでもニーズはありそうとのこと。
電圧ってなに?電流ってなに?から訓練が始まる理由
宇宙飛行士候補者訓練に話を戻そう。
山﨑准教授は宇宙飛行士候補者訓練用に、HEPTA-Satトレーニングに電気・電子工学の基礎を追加した。具体的には「電圧ってなに?電流って?抵抗とは?」の話から始まる。中学で習うオームの法則など理屈を学ぶと、次は実際に回路を動かしてみる。
「体験しないと分かった気になるだけだから。あと体験すると何より楽しい。動機の動線をつくることが学びの場には大事」(山﨑准教授)というのがその理由だ。そして「オームの法則が成り立っているなら、電流がこれくらい流れるはず」と予想して実際に電流を測ってもらう。ISSで宇宙飛行士が使うような計測装置を使って。「理屈と体験をリンクすることで、腑に落ちる体験にすることが大事」だと山﨑准教授は話す。
正直、宇宙飛行士候補者の訓練は、もっと難しいことをやるのかと思っていた(山﨑准教授もそう思っていたそう)。それが中学校で習うことから始まるとは!醍醐さんによると、その理由は「基礎訓練の目的は、宇宙飛行士候補者がこの先の訓練で困らないようにすること、多様なバックグラウンド(専門)を持った候補者たちの知識のレベルをならすことです」。基礎訓練中なら、どんなに基本的なことを聞いても恥ずかしくないのだと。
「宇宙飛行士はすべての分野で専門家である必要はありません。宇宙で何か困りごとが起こっても地上の専門家がサポートします。ただし、例えばISSで突然停電など電気的なトラブルが起こったとして、地上の専門家と話すときに、最低限の専門用語は知っておく必要があります。また地上から送られてきた指示書をもとに、操作できることも求められます」(醍醐さん)。なるほど、諏訪理さんの専門は国際開発、米田さんは医学。専門分野について深く学んだ専門家であっても、他の分野については知らないことがあるかもしれない。
人工衛星を作りながら、「システム」を学ぶ
宇宙飛行士候補者訓練で山﨑准教授とUNISECに依頼した一つは電気・電子工学(通信を含む)について理解を深めること、そしてもう一つが宇宙システムや人工衛星について学ぶこと。そもそもHEPTA-Satは「システムとは何か」を理解することを目的に作られたトレーニングキットだ。「宇宙システム」と聞くとたくさんの機器が相互作用し、複雑で難しいシステムのように思うが、山﨑准教授のやり方は、全体ではなくて一つの要素から始まる。
まず基板に一つ一つの部品(要素)をはんだ付けしていくことによって電気・電子回路を作り、まずは電源系を完成させる。出力結果を見て理論通りに動いていることを確認したら、次はデータ処理系。電源系の電気によって、簡単なプログラミングをしたマイコンが動くはず。動かなかったら「おかしいね、勘違いしているかもしれない」と前に戻ることもできる。そうやって要素を一つずつ組み上げていく。6つのサブシステムの役割や機能を学びながら、超小型衛星に統合されていく過程を体系的に学ぶ。
「わかってほしいのは、一つ一つの要素をどうやってインテグレーションすることで所望のシステムにしていくか。カレーライスで言えばむき出しのニンジン(という素材)を料理して、カレーライスを作っていく。人工衛星の作り方というより、システムの作り方を教えているんです」(山﨑准教授)
そしてシステムの考え方は課題解決にも役立つ。諏訪さんと米田さんは将来、有人宇宙活動が地球低軌道からその先の宇宙探査の新時代へと展開する中で活躍していくだろう。「地球からの距離が遠くなり、月の裏側では地球とコミュニケーションする時間が少なくなり、通信できない可能性もある。短い交信時間の中で課題をピックアップして問題を解決する力、指示がない中でも最適な答えを導き出す力がつくといいねと醍醐さんと話し合ったんです。それにはHEPTA-Sat訓練はぴったりだと。システムとしてみるのは問題を解決する一つの手段。全体を見て部分を見ることによってどこがおかしいか、異常箇所がほかに影響を及ぼしていないかがわかってくる。システムという視点がないと、問題解決に手間取るケースが多いのです」。
実際に衛星づくりの過程ではスイッチを組み上げ、LEDが光るはずなのに光らないとか、SDカードにデータが書き込まれないなどうまくいかないことが多々起こる。「うまくいかない時、どうしてうまくいかないのかを考える。それこそが学びになる」(山﨑准教授)。原因にはソフトウェアが間違っているとかハードが壊れているとかたくさんの可能性がある。システムという考え方で解決方法を学ぶのも、この訓練の大きな目的だ。
学生たちがTAとして参加
今回の訓練の特徴はまだある。訓練準備段階からテキスト製作、訓練時のTA(ティーチングアシスタント)として学生たちが大活躍したことだ。山﨑准教授研究室の5人の精鋭たちが訓練を支えた。トレーニング中も質問に答えたり、困っていたら手伝ったりなど宇宙飛行士候補者訓練をサポートした。
大学院生2人はHEPTA-Satトレーニングで世界を回った豊富な経験の持ち主でリーダーシップを発揮。大学生(4年生2人と3年生1人)は、人工衛星を作っているメンバーでもある。「教えることが勉強にもなると参加してもらいました」(山﨑准教授)。
学生さんたちが口をそろえたのは、宇宙飛行士候補者から本質的な質問が多かったという点。エラーが出たときも表面的な理解でなく、「こういう理由だからこうすることが必要なのか」など解決のプロセスを理解しようとしている点が印象深かったという。今後、HEPTA-Satをどう広げたらいいか諏訪さん、米田さんと議論する機会もあり、大きな刺激になったそうだ。
チームリーダーの大学院2年生、岩田隆佑さんはTAとして訓練全体の進行管理のサポートも行った。
「全体のプロジェクトマネジメントまでできる学生はなかなか少ない。海外の宇宙機関では学生がISSプログラムに入り開発支援をしている。日本の学生さんに経験してもらってよかった。将来、お二人が宇宙にいるのを見たときに、訓練をサポートするという貴重な経験をしたことを感じてもらえたら」。醍醐さんは、今後も様々な方に宇宙飛行士候補者訓練に関わってほしいと考えている。
宇宙飛行士候補者の諏訪理さんは、JAXAウェブサイトの9月の基礎訓練レポートに「思い出深かったのは何といってもHEPTA-Satと呼ばれる人工衛星の基礎を学ぶ訓練でした」とコメントを寄せている。「全体を構成する一つ一つの要素がうまく動いても、いくつもつなげるとうまくいかなかったりと、試行錯誤が続きました(中略)。最後に何とか形になった時はうれしかったですね」。
HEPTA-Sat訓練を通して、諏訪さんは青年海外協力隊員としてルワンダで教育に携わっていた時に行ったロボコンを思い出したという。「今回の訓練では私もルワンダの生徒たちに負けずに目が輝いていたはず!」。「(HEPTA-Satは)宇宙時代に突入する世界の多くの国の教育で需要がありそうと感じました」とも記している。
山﨑准教授が宇宙飛行士候補者訓練を通して得たものはなんだろう。「お二人と話して、これから人々が未知の環境に出ていく中で、考える力を鍛えるのが大事だとよくわかりました。宇宙飛行士は(特別な人ではなく)尖ったところを持っている。学生たちにもとがったところを伸ばしていくようにしていきたい」。
川島さんが諏訪さん米田さんの訓練を見て印象に残ったのは「腹落ちした」という言葉だったという。電波や電力、通信など色々なものが組み合わさって宇宙システムとして機能することを知識でなく、実体験を通して体得することができる。
訓練を企画提案した醍醐さんは「狙い通り」という。「ISSはものすごく複雑だが、ひも解いてみたら生命維持装置以外のISSに必要な要素はすべてHEPTA-Satにある。ISSという巨大な宇宙機の中で生きるために知っておくべき原理を、かみ砕いて教えて下さったと思います」
取材の最後に、川島さんが山﨑准教授に言われて印象深かった言葉を教えて下さった。「世界の約半分は電子機器やプログラミングでできているのに、それらを知らない人は世界の半分を知らないままでいることになる」。だとしたら世界の半分を私も知らない。すぐにHEPTA-Sat訓練を受けたくなった。
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執筆者紹介
林 公代(はやし きみよ)
福井県生まれ。神戸大学文学部英米文学科卒業。日本宇宙少年団・情報誌編集長を経てライターに。世界のロケット発射、すばる望遠鏡(ハワイ島)、アルマ望遠鏡(南米チリ)など宇宙・天文分野の取材・執筆歴20年以上。
「るるぶ宇宙」の監修務めるなど、幅広い分野で活躍。「さばの缶づめ、宇宙へいく」(小坂康之氏と共著)、「宇宙に行くことは地球を知ること『宇宙新時代』を生きる」(野口聡一飛行士、矢野顕子さんと共著)『星宙の飛行士』(油井亀美也飛行士と共著)など宇宙飛行士との共著多数。
Webサイト:https://gravity-zero.jimdo.com/
Twitter:https://twitter.com/payapima